プロフィール

はじめまして

カウンセラーの 西野花優希 です。

20年近く精神科や高齢者施設など様々な場所で勤務してきた看護師です。

離婚し、不安が強く発達障がいを抱える小学6年の息子を育てる50代のシングルマザーです。

こちらでは、私がどのような経験をしてきたのか紹介させていただきたいと思います。

~親のヒステリー・出産・離婚・子どもの不登校を乗り越え、発達凸凹のある我が子と共に~

【母親のヒステリックに怯える日々】

私は、両親と弟の4人家族の長女として生まれました。

3歳になった頃までは両親に可愛がられてきたんだなぁと今、アルバムを見ると思い

ます。

その生活が少しずつ変化してきたのは弟が生まれてからです。

3歳離れている姉として弟の面倒をしっかり見ることや母親の邪魔をしない事、姉は

我慢強くないといけない事など色々な役割を与えられました。(弟の面倒を見るのは

好きでした。)

失敗すれば当然怒鳴られます。その度合いは母親の機嫌で左右されました。

毎日母親の顔色をうかがい、音を出さないようにドアを閉め、音を出さないように

家の中を歩きました。鉛筆をテーブルに転がす音さえ怒られました。

親の期待通りに出来ない子でその度に怒鳴られました。自分の想いがあっても言い

訳として一切聞いてくれませんでした。自分のいう事は信じてもらえないんだという思

いをずっと抱えていました。

幼稚園や小学生時代いじめにあっていましたが、親に言ったらいじめられている自分

が悪いと怒られると思い言えませんでした。

当然先生たちに言っても怒られるだけだと思っていましたし、言っていじめる子からさ

らにいじめが酷くなるのも怖かったので言えませんでした。物を隠されたり蹴られても

じっと耐えるしかありませんでした。お腹を蹴られて田んぼに落とされ、まともに息

が出来なくて苦しくて。。。

家も学校も怖くて毎日が憂鬱でした。毎日が本当に辛かった。

消えてなくなりたいけど消えない(そんな方法も知らなかったから)。諦めて生活してい

ました。ヒステリックに怒鳴られている時は、感情を停止させ、思考回路も遮断させま

す。そして、おさまるのをひたすら耐えて待つ日々でした。今でも、両親と会うと感情

や思考が停止しやすいですが、それが唯一自分を守る方法でした。)

小学生だったある日テストが返ってきたので親に渡しました。点数は80点台。怒鳴ら

れました。「なんだこのテストは!こんなに間違えて!あんた、誰の子?こんなバカな

子は私の子じゃない!!」と。

純粋な私は「そうなのか!私はこのうちの子じゃなかったんだ!理由があってこの家

に預けられたのかな?だからこんなに辛い目にあってるのか。いつか本当のお父さ

んとお母さんが迎えに来てくれるかもしれない。」と思いこみ淡い期待をしながら生活

していく事になります。幼い私がこの場所で生きていく精一杯の想いでした。(専門学

校に入るときに戸籍をみて実の親だったと知りますが)

ガラスの灰皿を投げられてよければ「何でよけた!!」と怒鳴られ、よけなければ良かっ

た死ねたかもと後悔したり、小学生の頃から何度も死にたいと思っていました。でも死

ねず、でもいつ死んでもいいとずっと思っていました。

【両親が決めた進路】

中学になりやや反抗期になっていきます。父親は大好きだったのですが母親から「お

父さん、あんたのことが嫌いだって」とショッキングな言葉を聞きます。たとえ聞いたとし

ても子供に伝えることではないのでは・・・とその時父に対して、更に母に対して何か

が崩れていきました。陰でコッソリ泣きました。

私は子どもが好きで、子供たちと関わる仕事がしたいと短大や大学を希望しますが「女が大

学に行く必要はない」、「弟がいるから弟を大学に行かせる」と言われ断念、専門学校も

許可が下りず、就職か看護学校の2択からの進路決定でした。1日も早くこの家から

出たかった私は寮のある看護学校を選択しました。この時にまぎれもなく私の親はこ

の親だということを知りました。

寮生活や一人暮らしを始めて親と少しずつ距離が離れていくうちに心穏やかに暮ら

せるようになっていきました。親と会ったり、電話が来たりすると緊張はMAXになりま

すが、長い時間をかけて培ってきた対処法でやり過ごせるようになっています。

【結婚、待望の子供の誕生、離婚、そして子どもが登校渋り】

誰かを上手く愛することが出来ず、親からも愛されない私が誰かに好かれるはずもな

いと小学生の頃からずっと思っていました。

そんな私が結婚をしました。

その人を好きだったのか今は思い出せませんが、そんなときもあったと思います。ただ、結婚生活

はあまり長続きしませんでした。相手の借金が発覚、大喧嘩してもうしないと言われ

たものの私が相手を信じ切ることが出来ず、再度相手は借金を作り・・・。

その間に待望の子どもが生まれ何とかやってきましたが、相手が子供にあまり興味を示さず上手

く子供と遊べない、子どもが父親と直接話したがらず私を経由して話をするなどもあり

父親は面白くなくてイライラ、借金のこともありお互いイライラ。

子どもが不安定になり学校への行き渋りが始まります。起きると父親に会う、会いたくない!と朝起きなくな

り不登校に。

借金のこともあり、このままではいけないと離婚も視野に話をすると相手と相手の母親が激高。

俺が稼いだ金を使い込みやがってと話合いにならない状態に。

顔つき目つきがおかしくなり、身の危険を感じて実家に避難。

相手が養育費を払う気もなかった為、家庭裁判所を通じて離婚調停。

そして子供が小学3年生の時に離婚成立。

子どもは父親に対して怖かったようでトラウマになり、「お父さんがお母さんを「やっ

つけに来る」と怯え家の戸締まりに対して異常なほど敏感になりました。

強い不安は今でも続いています。

【不登校を経て、再び学校へ~発達障がいの我が子との日々~】

子どもは、以前から家では話をしても外に出ると全く話せなくなる場面緘黙の症状が

ありました。一時期さらに酷くなりました。

子どもが学校に行けなければ仕事に行けません。

仕事どうしよう、生活どうしよう!当時の私はパニックでした。

スクールカウンセラーに相談したり、市の児童相談センターに相談に行ったり色々な

所に相談しましたが、結局は具体的なアドバイスや改善策はなく途方にくれました。

でも、子どもの状態や自分の状態を誰かに話すという事が私に光を与えました。

話が終わった帰り道は何も解決もしていないのにスッキリしている自分がいました。

会社には事情を説明したものの肩をたたかれ・・続けられずに退職をしました。

カウンセラーからウイスク(子供の知能を測る検査)をやってみないかと案内され受けてみることに。

場面緘黙症傾向がある我が子がどこまで力を発揮できたかわかりませんが発達凸凹

があるとの説明を受けました。

相談センターから病院受診を勧められ紹介を経て発達小児科のある病院を受診。

そこで自閉スペクトラム症と診断されました。そうかなぁとウスウス感じていたので

覚悟はしていたのですがいざ診断をされ、診断が出てほっとしたようなこれからどうし

ようという不安と複雑な状態でした。

病院の主治医から心のエネルギーが不足していて頑張れない状態、

満たされていけば頑張れるようになるからそれまで登校刺激は無理せず、

家で規則正しく生活すること、勉強は適宜取り入れるなどのアドバイスをもらいました。

規則正しい生活はある程度出来ていたのですがゲーム・YouTube三昧。

エネルギー不足の時は勉強も手に付かなくなっていました。

外へドライブに行ったり、好きな電車に乗ったり、一緒にボードゲームをしたりお金を

掛けずに色々しました。

そんな中毎日学校に休みの電話を入れなければならずそれが苦痛で私自身がかなりの精神的ダメージを受けました。

そんな中のコロナ休校は、子どもと共に心置きなく休めた唯一の期間でした。

子どもが不安定になり学校行き渋りが始まった頃(1年生の3学期)、学校でいじめに

あっていたことも重なっていたようで2年生の初めころには教室に入れなくなっていき

ました。このことがきっかけとなり集団活動がさらに苦手になりました。

それまでは運動会などの集団行事にも参加出来ていたのですが出来なくなり、

感触が苦手だったようで体操着も2年生の途中から着られなくなりました。

今も体操着に着替えることなく私服で過ごしています。休み時間みんながいる所で

トイレに行けなかったり、出来なくなった事が増えました。

学校からの働きかけやスクールカウンセラー、市の児童福祉センターの協力も得な

がら、普通級に入れないので支援級の見学に行ったり、放課後登校、玄関登校、保健

室登校など色々なことを試してきました。

支援級の体験後20~30分いられるようになっていきました。

1年の3学期から3年の2学期までは母子登校でした。子どもたちの視線・先生たち

の視線はかなり辛いものがありました。

母子登校をしながら、一緒に授業を受けたり、別室で待機したり。

1年生の3学期からずっと一進一退を繰り返しながら、私がいなくても学校で過ごせ

るようになっていきました。

今では、徒歩で登校し5時間、6時間しっかりやって帰ってきます。

(迎えは未だにしていますが)

普通級に合流することは一切参加出来ませんでしたが、5年生の途中から

出来るようになり今は学校が一番楽しいと笑顔で言えるまでになっています。

今まで、真っ暗闇で不安な中、手探り状態でやってきました。まさかここまで来られる

なんて、こんな景色を見られるなんて思ってもいませんでした。

我が家はまだまだ問題だらけで、悩みもいっぱいあります。ですが、一歩一歩進んで

います。

我が子の発達障がいの症状で学校の先生方に色々配慮してもらったり福祉サービス

を使って進んでいます。

小中高とあんなに死ぬことを考えたり、いつ死んでも良いと思っていた私は子どもを産んでから変わりました。

この子を置いて死ねないと。

苦しくて「死」が浮かぶ事もありました。子どもを置いて逝くことは出来ない、子どもと

一緒に逝くことも出来ない・・・残された道は・・・立ち止まってもやっていくしかない!

そして今ここにいます。

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【今ここにいて思うこと・こんな経験をした私だから言えること】

1人で抱え込まないでください。上手く話せなくてもいいから、声に出してください。

言葉にするだけでも違います。悩んだことを教えてください。行き詰ったことを話してく

ださい。あなたは1人じゃないです。そして、あなたはあなたのままでいいんです。

あなたのままでいるために、あなたの思いを話してください。

自分の気持ちを言葉に出せるようになると

いま必死にもがいているあなたの心は楽になっていきます。

心が楽になってゆとりが持てるようになると子供や家族、周りの人に対する接し方が変わってきます。

すると子供や家族、周りの人たちが変わっていきます。

あなたの人生が楽しく生きられるそんな未来になるお手伝い・サポートをします。

人で抱え込まずに私を頼ってください。

初回体験カウンセリングであなたのお悩みをお聞きします。

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